在家と出家の違いについては、一言で説明することが難しいのですが、俗世から離れないとある意味本当に『捨てる』ということができないので、出家とは言いにくいかと思います。
家を出るということは、社会的生活から離れるということです。
社会的生活をしながら現俗世を捨てるということは、無理でしょう。
また、その宗派によっても考え方の違いがあります。
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在家と出家。その違いについて
テレビで在家と出家という言葉を聞く機会もあるかもしれません。その違いに疑問を感じた事はありますか?
ここでは、在家と出家の違いについてお話します。
出家とは
この乱れている世の中から自分の考え方を絶ち、世の中の汚い考え方から自分を切り離して修行していく、それを実践していくことをいいます。場所は家以外の場所になります。
在家とは
出家はしていない状態になります。場所は、家や職場にいることになります。
その為、在家と出家は考え方は一緒でも、生活や修行の場所が違います。考え方は一緒でも、そういった違いが生じてくるんですね。
在家と出家の違いとは?
在家と出家ですが、汚れた世の中から自分の考え方を切り離して行くという点では一緒でも、実践する場所が違います。
在家と出家は、どこまで自分の生活を犠牲にしていけるのか?というのが問題になってくると思います。
出家は、色々なものを捨てて、修行する場も本格的にしていきます。でも、そこまで自分の生活を犠牲にできない人もいますよね。
そうした場合は、場所が家や職場になる、在家になってきます。
仏教の教えが根本となっていますが、どこまで自分の生活を捨てる事ができるのか?というのが鍵になってきます。より捨てる事ができる人は、出家、そこまではと感じる人は在家になります。
在家も出家も違いはない?
考え方は一緒、生活する場所が違う。そういう考え方をしてみると、在家も出家もそこまでの違いはないという考え方があります。確かに、出家も在家も住む所もありますし、食べるものもあります。しかも考え方も仏教を根本した考えです。そうなると、あまり違いはないといった意見があってもおかしくないと思います。
人は様々な考えを持っていますが、その考えに対してどういった行動をするのかを問われているのかもしれませんね。どうせなら徹底的にと感じる人は出家、そうでも無い人は在家でも、同じ空気を吸い、同じ食べ物を食べています。そういう観点では一緒になりますよね。
出家する目的とは
出家をする目的についてみていきたいと思います。
出家に関連する五欲とは
- 食欲……人間の最も大きな欲。食べるために起こす欲。
- 財欲……金は一円でも欲しい、土地は一坪でも欲しいと思う心。
- 色欲……男女の仲を満たそうとする性欲。
- 名誉欲……どんな人からでも誉めてもらいたい心。
- 睡眠欲……眠りたい欲。
上記から離れることが、出家する目的になります。そして、悟りを開くことが目的になります。
また、共同生活になりますから、励まし合って成長していくことも大切になってきます。
在家僧侶養成講座あります
出家する目的は、仏教でいう五欲から離れること、そして悟りを開くことです。
仏教の教えは、今の生活をしたままでも学ぶことができます。それが、在家僧侶養成講座になります。
具体的にどんなことが必要になってくるのか、座禅や写経、読経などを講座で受講し、講座を終了した後ですが、僧位(在家僧侶としての位階)や僧号、道号(在家僧侶としての名前)も取ることができるようです。
より仏教の世界に入りたい、興味があるっという人は是非、在家僧侶養成講座を受けてみたらいかがでしょうか。
在家と出家、あまり違いはない
世の中には様々な教えや宗教がありますが、仏教という教えに対して興味を持ち、自分もその教えの中で本格的に成長したいっと感じる人たちがいます。そんな人達の中でも、それを今の生活を大切にしながら成長したいと思う人もいれば、本格的にその道を極めたいっと感じる人もいると思います。
前者の場合が在家になり、後者の場合が出家になります。ですが、どちらともあまり変わりは無いのだと感じます。というのも、実践する場が異なるだけで、多くの人に影響は与えていると感じるからです。
自宅では家族に影響を与え、出家ともなると、近所の方であったり、そこを訪れる人に影響を与えることができます。私達はいつも誰かとコミュニケーションをとっていますから、そういった意味では、在家と出家、あまり変わりはないと思います。